先日、初めて寄席を観た。

最前列で感じる生の芸は、まさに圧巻の代物だった。

特に、太神楽や切り絵といった『和芸』。

これはやはり「素晴らしい」と感じざるを得なかった。

「棒を立てる」「紙を切る」

言ってしまえばそれだけの行為を『芸』まで高めた。

とてもシンプルで単純な行為、だからこそ担い手の心が真っ直ぐに伝わる。

やれば出来るが、やらねば出来ない。

やればやるほど磨かれ、研ぎ澄まされる。

それは、この上なく真摯な芸だなぁと考えさせられた。

現代の社会では、スマホやパソコンをはじめ「道具」をどれだけ便利で有能にするかを重視している節がある。

しかし、私達の持っていた「和」の精神はそうでなく。

「道具」とは「自分の力を引き出す」術だったのではないだろうか。

食事一つをとっても、欧米ではフォークやナイフなど用途に分けて道具を使い分けるのに対し、日本では「箸」一つが全てを担う。

それは、道具の能力に頼り切るのではなく「自分の力」を掛け合わせていたから叶ったのだろう。

社会がどれだけ便利になっても、自分の身体が不要になる時は来ない。

だからこそ、生活の中で自身を鍛える意味も込めて、私達人間の可能性を見出すような和の文化が育ったのかも知れない。

道具が優れ、自身の能力を求められる機会の減った現代。

だからこそ、意識しての研鑽が求められる時代となったのかも知れない。

そんな世を見据え、戦場に赴く武士のように気付けの一杯。

片岡妙晶

真宗興正派 僧侶・宇治園製茶公認日本茶大使

ネコさんと売茶翁が好き

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