「時熟」という言葉をご存知だろうか。

「成熟」にも通じる言葉だが、日本語とは繊細なもので、僅かなニュアンスの違いを細やかな感性から言葉として残されている。

十分に実ることを「成熟」と表すなら、「時熟」は何だろう。

「人間は根源的に時間的存在である」

有名な哲学者「ハイデガー」の言葉だ。

その意味はとても難解で複雑な為省略するが、ざっくり言うと

「物質が存在するから時間が存在する」

そして「時間に意味を持たせるのは人間だ」

という考え方だ。

私達は、物質の変化から時間の存在を知り時間の変化を観察すること「過去」「未来」を見出した。

それにより、人生の始まりと終わり、先祖や子孫の存在といった「命の尊さ」を得たのだ。

生きとし生けるもの全てにとって平等に与えられた「今を生きる」こと。

しかし、「」という概念が無ければ「」も無いだろう。

時を知り、過ぎ去り迎えるこころこそ「今生」の第一歩なのかも知れない。

国や時代が変わろうと、私たちが生きるのは「今」しかない。

過去を悔やみ、未来を羨むのではなく、「今をよろこぶ」こと。

その心こそ、時が熟する「時熟」なのかも知れない。

 

 

片岡妙晶

真宗興正派 僧侶・宇治園製茶公認日本茶大使

ネコさんと売茶翁が好き

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