先日、とある陶芸家さんのインタビューでこんな言葉を聞いた。

「花瓶の口へ手を突っ込み、鳥肌が立つような作品をつくりたい」

私達は、日々様々なものに触れ、感じ、受け取りながら生きている。

食したものより肉体が作られるように、心もまた空に込められた気を食みながら、形作られてゆくのだろう。

風も音も、匂いだって。
姿形は無いけれど「有る」ことだけは知っている。

美しい言葉を聞けば心は飾られ、穏やかなものを見れば気は和らぐ。

素敵なブラウスを選ぶように、素敵な言葉を使いましょう。
ネックレスやイヤリングをつけるのと同じように、優しい言葉を使いましょう。

と、美輪明宏さんも言っていた。

人の世を生きていると、元気を受け取ることもあれば毒を飲まされることもあるだろう。
明確な言葉でなくとも、目付きや振る舞い、それこそ「空気」から伝わることもしばしば。

遊高臺寺煮茶
石塔高登上古䑓
満林秋色畫圖開
煮茶特試菊潭水
洗盡人間胸裏埃

絵画のような景色に包まれ、菊潭の水で煮た茶を飲むと、胸の内に溜まった埃が洗い流されるようだ…

と、売茶翁も語っている。

私達が生きる上で、空気は切っても切り離せない。
食べることは我慢出来ても、空気を吸うことは誰もやめられないだろう。

だからこそ、売茶翁は茶道具を担ぎ、わざわざ「清浄なる空気」の満ちる場を求め、繰り出したのかも知れない。

美味しいゴハンを食べるように、美味しい空気を吸いに赴いたのだろう。

茶の味を決めるのは、茶葉と水だけでない。
その場に漂う空気との混ざりあい、それら全てを含めて茶湯の味わいなのだろう。

そんな空の器に満ちる不可視の世界に想いを馳せて、今日も一杯。

空気が美味しい。

片岡妙晶

真宗興正派 僧侶・宇治園製茶公認日本茶大使

ネコさんと売茶翁が好き

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