心と和 第二十一杯『青春』
「青春とは心の若さである。 希望と信念にあふれ勇気に満ちて、 日に新たな活動を続ける限り 青春は永遠にその人のものである。」
パナソニック創設者である松下幸之助氏が70歳の頃、座右の銘として紡いだ言葉だ。
人は、生まれた瞬間から死に向かって歩み始める。
肉体は加齢と共に老い衰えてゆくだろう。
しかし、心はどうだろうか。
松下氏が参考にしたアメリカの詩人サミュエル・ウルマン氏の「青春」にはこう記されている。
「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、 心のもち方を言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、 たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さを言う。
青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。 理想を失う時に初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、 熱情は、失えば心はしぼむ。 苦悶や・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、 脅威に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、 人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。 人から神から美・希望・喜び・勇気・力の 霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、 悲嘆の氷に閉ざされるとき、 20歳であろうと人は老いる。 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 80歳であろうと人は青春にして已む。」
世間一般でいう『青春』とは、季節の「春」を示す言葉が転じた、生涯において若く元気な時代、主に青年時代を指す言葉として使われている。
元々は、中国の五行節から来た「青春・朱夏・白秋・玄冬」のひとつだったが、いつしか青春以外ほとんど使われなくなったのだそうな。
朱夏・白秋・玄冬も、それはそれで良い時節なのだろうが、やはり私達はいつの世でも「若さ」に惹かれてしまうのだろう。
特に、現代は延びた寿命に反し「学生〇〇」など早熟を持て囃す風潮が強まり、「歳を重ねたから」の良さが見えづらくなってしまった。
Today is the first day of the rest of your life.
みんな今の年齢に成るのは初めての筈なのに、いつからか生き飽きたような倦怠感に包まれ出してゆく。
「歳を重ねると誕生日を迎えることも億劫だ」と祖母が話していた。
誕生日は「肉体が生まれてから経った年数」を数える日としてみると、年を取り死が近づくことを実感し、億劫になってくるかもしれない。
しかし、「○才の私が誕生する日」とみればどうだろう。
青春の始まりが毎年訪れるのは、素敵じゃないか。
肉体の老いをはじめ、この世に起きる出来事を変える力を私達は持っていない。
だが、心持ちで世界の「見え方」は変えられる。
毎年・毎月・毎日でも、甘露の雨に祝福を受けたお釈迦さまみたいな気持ちで生まれることが叶うのも私達だ。
茶を呑み「以酪為奴甘露液」と語った売茶翁も、もしかしたらそんな気持ちだったのかな。
なんて想いながら、煎茶を一杯。
扇風機に向かって「あ”~~~」とかしちゃって、今日も清らかな風が吹く。
片岡妙晶
真宗興正派 僧侶・宇治園製茶公認日本茶大使
ネコさんと売茶翁が好き
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