心と和 第五杯 『禍福』
新年あけましておめでとうございます。
宗教離れが進むと言われる現代でも、お正月だけはまだまだ現役ですね。
おせちにお雑煮、書初めに初詣となんやかんやで楽しんでしまいます。
時代は変わっても、私達にとってお正月は大切な区切りなのでしょう。
そんなお正月の心を教えてくれる一句を、今回はご紹介します。
『門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』
読み人は、とんちで有名な一休さん。
年が明け、正月を迎えることは一つ歳をとるということ。
(昔は年齢を数え年でカウントしていた為、お正月に皆が一斉に歳を取った。)
歳をとるということは、「死」に近付くということ。
だから、正月を知らせる門松は冥土へと続く道の一里塚のようなものだ。
そう言って、一休さんはお正月の三ヶ日にドクロを乗せた杖をつき「御用心、御用心」と京の街を練り歩いたそうです。
街の人は、折角のお祝いムードを汚されたと大怒り。
そんな「イヤガラセ」とも思える行為には、しかし大切な教えが込められていました。
禍福は糾える縄の如し
私達は「幸せになりたい」と、ついつい幸福を追い求めてしまいます。
ですが、本来物事に「幸・不幸」は存在せず、実際は人の心が勝手に決めつけているに過ぎません。
なので、同じ物事も見る私達の心によって「幸」或いは「不幸」と姿を変えてゆく。
それは、まるで糾える縄の裏表のように重なり合い、翻るもの。
しかし、それは逆に言うと「不幸」があるから「幸」があることの表れでもあります。
心を緩めてお祝いムードを噛み締めるお正月休みも、それが続けば味は無くなる。
「仕事始め」があるからこそ、休みの色は華やいでゆく。
その際たるものが「生」と「死」。
お正月を迎えれば歳をとる。
それを繰り返せば当たり前に思えてしまうのが私達。
だから、一つ歳を重ねられることは当たり前では無い。
今年が最後かも知れないという「死」を見据えることで、目の前にあるよろこびを噛み締めてゆこう。
そんな心を、一休さんは一見奇天烈にも思える行動で私達に教えてくれたのでした。
起こる物事は決められないけれど、それを「よろこぶ」か「苦しむ」かは自分で決められる。
そんな真実を以て、本年も歩ませて頂きましょう。
今年も山あり谷あり、充実した一年となりますように。
片岡妙晶
真宗興正派 僧侶・宇治園製茶公認日本茶大使
ネコさんと売茶翁が好き
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