「お下がり」という文化がある。

兄姉の服を弟妹が貰うように、誰かが使っていたものを貰うことを言う。

 

私はこれがとても好きだ。

同じ「貰う」という行為でも、自分用の新品より誰かの使い古しを貰った方が嬉しく感じる。

なんだろう、心強いのだ。

どんなに些細なものでも誰かのお下がりを身に付けると、それをくれた人の力を分けて貰ったような気分になる。

 

僧侶の道を歩み始めたばかりの頃は、祖父の使っていた衣や道具を借りたりした。

本人はもう他界していたが、それでも遺された物は確かに私を支えてくれていた。

 

そんな風に、知らないところでも、私はいつだって誰かのお下がりを貰い続けているのだろう。

 

日本には「八百万の神」という思想がある。

私達の生きる世界は、全て「誰かが生きた世界」だ。

 

「全てのものに神が宿る」というこの思想は「神=誰かの想い」で、私を知らないところで支えてくれている誰かの存在を教えてくれるものだったのかも知れない。

 

豊かな世の中に生まれたborn on third baseのような私達だけれど、ここまで導いてくれた先人の存在さえ忘れなければ、きっと次の世代をホームへ送る人にもなれるだろう。

 

「米一粒に七人の神」

 

この世の全ては誰かからの贈り物。

感謝を込めて「いただきます」

片岡妙晶

真宗興正派 僧侶・宇治園製茶公認日本茶大使

ネコさんと売茶翁が好き

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