ふと思いついて、昔の日記を読み返した。

その中に書かれていた、一昨年東京へ行った際のこと。

泊まる予定だった宿の都合が変わり、土地勘の無い場所に放り出された。

さらに都合を変えた宿の方から悪意を向けられ、それがとても刺さった。

しかし、何故かその苦しみは尾を引かなかった。

思い返しても、その時のことは嬉しい気持ちしか思い出せない。

いろんな人に会って、いろんなところへ連れて行ってもらった。

知らないことを沢山教えてもらい、いろんな世界と出遇い、本当に楽しかった。

それまでは、一度嫌なことがあるとかなり引き摺り、しばらく落ち込んでいた。

「これ以上落ち込めない」というドン底まで堕ち切って、ようやく這い上がる。そんな気の持ち方をしていた。

でも、この時は違った。

「引き上げてくれる手」があったのだ。

悪意が心に刺さるように、人の心も伝染するものなのだろう。

事情も知らず、ただ共に過ごす時間を「嬉しい」「楽しい」と想ってくれる人の存在が、なによりも有り難かった。

側から見たら、あれはとても不幸で苦しい旅だったかも知れない。

けれど、私にとっては「嬉しくて泣けた」初めての夜だった。

どんなに辛く苦しい状況に陥ったとしても、悲しまなきゃいけない訳じゃない。

大変な思いをしながらも、笑っていいし、よろこびを噛み締めたっていい。

生きる上で災難は避けられない私達。

だからこそ「よろこび」は頂きもの、「ありがとう」は出遇う心として備わったのだろう。

どうせ誰かに伝わる心なら、引き上げる手になりたい。

そんな想いで、今日も一杯。

片岡妙晶

真宗興正派 僧侶・宇治園製茶公認日本茶大使

ネコさんと売茶翁が好き

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