アメリカの民話に「賢者の贈り物」という話がある。

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とある夫婦が、お互いにクリスマスプレゼントを贈る為にお金を工面し合う

夫は、妻への髪飾りを買う為に金時計を質に入れ
妻は、夫への時計飾りを買う為に髪を売った

結果的に、お互いのプレゼントは無駄になってしまった。

しかし、夫婦はお互いを思いやる愛情の深さを確かめ合い、より絆を深めることとなった。

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この物語の感慨深いところは、最後の一文だろう。

プレゼントを工面する為に、お互いはそれぞれに大切なものを失い、且つそれが無駄となってしまった。

しかし、2人はそれを非難したり悔やむこともなく受け入れた。

「時計はまた買えば良い」
「髪はまた伸びる」

自分が贈ったものがどんな扱いを受けるかよりも、相手から受け取ったものを大切にする心が尊く、美しいと想った。

「give精神」「利他」

そんな言葉が大声で叫ばれる今日だが、それを決めるのは受け取った人間であって、贈る者では無いのだ。

「贈る側」に立ち続けることは、神か仏のような存在にでもなった気がして、それはそれは気持ちが良いだろう。

しかし、私達はあくまでも人間であることを忘れてはいけない。

人の世に上下は無く、どんな施しも贈った時点で「受け取ってくれた」恩が生まれている。

「みんなの為に」と利他をばら撒く人間よりも、日々を受け取り「ありがとう」と感謝を浮かべる人間が、実は一番の施主だったりするのだ。

Peace begins with a smile.

「旦那」の語源であるサンスクリット語「dāna(ダーナ)」『布施』という意味を持ち、元々は僧侶の修行の一つであった。

与えようと思わずして、与えること。

それが叶ったなら、確かに世界は平和となるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

片岡妙晶

真宗興正派 僧侶・宇治園製茶公認日本茶大使

ネコさんと売茶翁が好き

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