心と和 第三十五杯『壮月』
八月に入り、夏も盛り。
夏季休暇に入る者も多く、レジャーやイベントへ繰り出す人も増えてきた。
巷で行き交う人々の姿も、心なしか活き活きとして見える。
そんな世を表すかのように、8月は「壮月」という異名を持っているそう。
「草木が盛んな月」の他、「活力に満ち溢れる、勇ましい」という意味がある。
夏の日差しに照らされて草木が萌え盛るように、人々もまた照らされることで元気を受け取っているのかも知れない。
しかし、正直言って、私は夏が好きじゃない。
幼少期から賑やかな場所は嫌いだし、暑さにも弱い。
学生時代は、学校のある間は会わずに済んでいた同級生達が一斉に解き放たれるのが辛くて、ずっと引きこもっていた。
社会人になってからも夏はなぜか苦しい経験をすることが多く、あまり良い印象が無い。
なので、今年も夏は「早く終わってくれ」とひたすらに願っていた。
例に漏れず訪れた苦しい出来事に「やっぱりか」と、諦めに近い心で受け流す。
抗う元気すら起こらない、『壮月』とは程遠い心地だった。
しかし、今年は少しだけ違う。
暑さも落ち着いた人定の頃、友人より電話が掛かってきた。
内容は、なんでも無い世間話。
普段なら寝室で受けるところだが、その日は何故か電波の調子が悪く、外へ出ることにした。
本堂の縁で夜風に当たりながら話をしているうち、だんだんと夜目が慣れて来る。
月夜に照らされる木々の陰、輝く星々。
昼間とは違う虫の声も心地が好い。
夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光ていくもをかし。雨など降るもをかし。
そんな言葉を残した清少納言の気持ちがよくわかる。
日中の燦々たる光では目が眩んで堪えられない私。
だが、月を介した柔らかな灯りなら心地好い。
そのどちらも、夏の陽射しだろう。
皆が皆、日中に生きる必要は無く。
夜闇をよろこび活きるものがあっても良い。
そう想うと、今年は私も壮月をいきられる気がする。
そんな心で、今宵は月夜に一杯。
片岡妙晶
真宗興正派 僧侶・宇治園製茶公認日本茶大使
ネコさんと売茶翁が好き
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